協調外交などを勉強しました

勉強をしました。強硬外交に転じて失敗した田中内閣から交代した浜口内閣は、協調的な幣原外交を復活させました。1930年にイギリスの提唱で補助艦の制限を行うため、ロンドン海軍軍縮会議が開かれました。この会議の結果、補助艦の比率をほぼ対英米7割にすることを協定しました。この条約調印に対し海軍軍令部や国家主義者、野党の立憲政友会などは政府が軍令部の反対を押し切って兵力量を決定したのは、天皇大権のひとつである統帥権をおかすものであるとして、激しく政府を攻撃しました。政府はこれらの反対をおさえましたが、経済政策の失敗もありました。協調外交の行き詰まりは、満州問題でも見られました。1928年に張作霖の子の張学良が国民政府への帰属を表明して北閥が終わると、国民政府は日本ににぎられている満州の権益を取りもどすと宣言しました。これに対し、日本は協調外交の姿勢を保ち中国の主権を尊重しながら日本の権益をまもろうと交渉しましたが、成果はあがらず中国の排日行動はいっそう激しくなりました。クリアネオの口コミはこちら